インプラント・審美歯科などの診療、福岡市南区の歯科医院。

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医院長紹介

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医院長プロフィール
院長 吉川 和則/よしかわ かずのり

吉川 和則/よしかわ かずのり

 

略歴
平成03年 福岡市中央区に
       「よしかわ歯科クリニック」開院

平成12年 医療法人友和会 設立

平成12年 佐賀県多久市に
       「たく歯科クリニック」開院

平成19年 「たく歯科クリニック」と
       「よしかわ歯科クリニック」を統合
       福岡市南区に「吉川歯科医院」開院


所属団体
・JACD
・SDMC
・FCIC講師


研修歴
・多数(一部のサティフィケイトの写真です)

 



患者様に私、吉川和則をより知っていただくために私自身の過去をちょっとだけお話させていただきます。

小学校時代


私の父は、父の兄が経営する建設会社に勤めていました。20歳程年齢が離れていたため、ほとんど親子のような関係でした。父親代わりになって育ててもらった恩があるからと言ってとにかく一生懸命に働いていました。365日仕事と言った感じで、小学校時代に父と遊んでもらった記憶と言えば一度だけ、一泊旅行に車で行ったことだけです。それも、母もびっくりするくらい突然のことでした。
とても嬉しかった私は、今でもその時のことが唯一の思い出として記憶に残っています。

それほど働いても生活は苦しく、洋服からパンツにいたるまで親戚のおさがりを着ていました。子供ながらにお金持ちになりたいといつも考えていたような気がします。

もう一つ小学校時代の忘れられない思い出があります。
4年生の時の遠足の出来事です。
友達を作るのが苦手だった私は、遠足でお弁当を食べる友達がいなくて、当日の朝は遠足に行くのがとてもいやでした。そうはいってもいかないわけにもいかず、朝、担任の先生が「お弁当を食べるグループが決まっていない人はいませんか」の言葉に私だけが手を上げました。
とてもつらい思いをしている中、1人の男の子が
僕たち一緒に食べよう
と言ってくれました。この時の嬉しさは小学校時代のどんな思い出よりも一番大きな思い出として心に残っています。
人に優しくする大切さを私はその同級生の男の子から学びました。

小学校6年生のとき、父が病気で倒れてしまいました。父は30代中程にして働くことができなくなってしまったのです。働きすぎが原因だったようです。さらに生活は苦しくなる一方でした。
小学校の卒業文集に、父の病気のこともあり、将来は医者になりたいと書いており、今でも大切に保管してあります。

中学・高校時代


闘病生活をしている父の姿と一生懸命看病をしている母の姿を見て過ごした時代でした。
当然、収入はなく年金のみの生活で、生活は苦しく大変な中、私と弟を学校に通わせてくれました。そんな苦労を知っているはずの私は何を考えたか反抗期に入っていました。それもとても長い反抗期です。「やんちゃ」ではすまない様な時期もありました。
当時の私を知る友人は「エッ、お前が歯医者になったの?どうしてなれたの?」と口をそろえて言ってきます。私自身もそう思います。笑う人がいるかもしれませんが父のまじめさが私のDNAの中に存在し、私を助けてくれたのだと正直思っています。
ただ、その頃のいわゆる「不良」と呼ばれる仲間から私はたくさんのことを学びました。

小学校の頃の医者になりたいと言う夢など不可能な生活を送っていた私に高校3年生の9月頃だったと思います。父が「お前も歯科大くらい行ってくれたらなぁ」と突然「ボソッ」と言ってきたのです。
それまでただの一度でさえ勉強しろと言ったこともなかった父が初めて私に進路について語ったのです。
父が勤めていた父の兄の息子さんが歯科医になっていたのです。病気で仕事もできず、父もとても悔しい思いをしていたのでしょう。
それから私は猛勉強をして、何とか歯学部に合格することができたのです。
今、あの時父の言った一言に本当に感謝しています

大学時代


何とか合格できたのですが、当然、一番最下位の成績ですから大学の授業は「チンプンカンプン」です。1,2年生の間は留年すれすれでもがいていました。
学費も足りないため奨学金を2つもらい、さらに4年生まではほとんど1年中アルバイトをしていました。大変でしたがこの頃のアルバイトは私にとっていい経験になったと思います。
大学時代の最も大きな出来事、それは弟の死です。交通事故だったのですが、この弟の死は私の人生にとって大きな転機となりました。とても優しい弟でした。兄である私は逆に弟からたくさんのことを学んだ様な気がします。
大学入学時最下位だった私の成績は大学卒業時には上位5本の指に入るほどになることができました。これもやはり父のまじめなDNAと弟のおかげだと思います

勤務医時代


卒業時、私は口腔外科の大学院を希望していました。しかし、父から本当にすまないが就職してくれないかと言われました。当然の答えだと思いましたが、やはり残念でなりませんでした。就職先は給料が一番高い所、それだけで決めました。
大変運が良かったのか、就職先の先生は何でもすぐにやらせてくれました。現在の歯学部では学生時代に患者様の歯を一度も触ることなく卒業するため就職しても1年目は見学と雑用というケースがほとんどです。医院のほとんどの患者様を任せていただいたため、どんどん技術を身に付けることができました。
今、本当に感謝しています

早く自分で稼ぎたいと言う思いと、変な自信からわずか6ヶ月で開業を決意しました。今思えば本当に無謀だったと思います。

開業時代から現在


卒業して、1年目に開業場所を決め、1年半で福岡市中央区で開業しました。早生まれだった私は、まだ25歳で同級生の中ではダントツの1番目の開業でした。今考えると生意気な若造だった私の所へたくさんの患者様に来院していただくことができました。実力と言うより運が良かったのでしょう。
開業から約10年、ほとんど昼休みもなくて朝9時から夜9時まで一生懸命働きました。休日には学会研修会に出席し、とにかく技術だ!そして仕事だ!を繰り返していました。
たくさんの患者様に来てもらう事、一生懸命働く事が父への恩返しだと考えていたのです。

そんな中、私の人生の2度目の転機が訪れます。
父の死です。
語りつくせない程たくさんの事を父から学びました。そして最後の最後まで心配をかけてしまいました。父の言葉で最も私の心に残っているのは
「親は子の捨石になれ」という言葉です。
この言葉には、いろいろな意見があるとは思います。私も現在3人の子供の父親となりました。私の父が、私や弟、家族を大切にしてくれた様に私も日々失敗を重ねながら子育てに奮闘しています。

弟の死、父の死という人生にとって最もつらい経験をしたことによって、私の人生観や仕事観は大きく変わりました
私自身も歯科医師となって約20年、たくさんの先生方や患者様と出会い、いろいろな勉強をさせていただきました。
これらの経験や学習から私自身が本当にやりたい歯科医療の姿が明確になったのです。この、本当にやりたい歯科医療を実現させるために今まで診療を行っていた2件の歯科医院を2件とも人に譲り、生まれ育った福岡市南区に新たに吉川歯科医院を開院しました。
2件とも残して3件目として経営することも可能ではあったのですが、今回の吉川歯科医院に全エネルギーを集中し、経営理念を追求していきたいと考えております

どうぞこれからも「吉川歯科医院」をよろしくお願いします。

 

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